kimmaのシネマブログ

映画とたまに本・ドラマの感想・自分なりの解釈について。あくまで1個人の意見です…

『善き人のためのソナタ』監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

〇作品概要

・2006年製作のドイツ映画

・138分

アカデミー賞にて、外国語映画賞受賞

ニューヨーク映画批評家協会賞にて、外国語映画賞受賞

 その他多数受賞

〇感想・見どころ ※ネタばれ含みます

舞台となった1984年の東ドイツには、未だ戦時中であるかのような秘密組織、監視、拷問が存在していたという史実にとても驚いた。そのような、当時の日常生活に蔓延する緊張感が終始画面から伝わってくる少し重めの雰囲気の作品だった。

本作は、秘密警察のビースラー(ウルリッヒ・ミューエ)が、反体制派の疑いのある劇作家のドライマン(ゼバスティアン・コッホ)の日常を、日中屋監視しする様子が描かれている。表情を一切変えることも動揺することもなく、いかにも恐ろしい秘密警察という様相のビースラーは、ドライマンを確実に”黒”だと決めてかかり、確証を手に入れるために家中に仕込んだ盗聴器で日常の会話を全て盗聴し、記録に残してゆく。しかし、ある時からビースラーはドライマンの怪しい動きや証拠となるようなものを耳にしても、記録に残さずになかったことにするようになる。一体ビースラーに何が起きたのだろうか。

恐らく彼は、盗聴を通じてドライマンの全てを知ることになったことで、彼に同情を抱くようになってしまったからであろう。人間は相手のことを知らない方が、相手を簡単に傷つけることができると思う。その一方で、親しい人を傷つけることはより一層大きな痛みを伴うことは容易に想像できる。だからこそ、ビースラーは日々監視する中で、ドライマンのことを知りすぎてしまったことで、彼を傷つけることができなくなってしまったに違いない。つまり、ビースラーは社会主義に反対意見を持つようになったから、ドライマンの味方をしたというわけではなく、単純にドライマンを同じ一人の同情するに値する人間として捉えるようになってしまったが故に、彼を守りたくなったのではないかと感じた。

そうして、結果的にドライマンはビースラーによって救われる。そして、何年も後に、実は自分がビースラーによって守られていたという事実を知ったドライマンは、ビースラーのためにある素敵な贈り物を送るのだ。この結末の展開がとても美しく、それまで本作では人間の冷酷な面や弱さばかりが描かれていただけに、一気に心が温かくなった。それと同時に、本来人間の心は温かいもので、どんな人でも必ず心に善良さを持っているのだという希望を与えてくれたようだった。

最後に、「善き人のためのソナタ」というタイトルにもとても深くて素敵な意味が込められているので、ぜひ実際に観て確かめて頂きたい。