kimmaのシネマブログ

映画とたまに本・ドラマの感想・自分なりの解釈について。あくまで1個人の意見です…

『母の残像』監督:ヨアキム・トリアー

〇作品概要

・2016年公開のノルウェー・フランス・デンマークアメリカ合作映画

・監督:ヨアキム・トリアー

〇感想・見どころ ※ネタばれ含みます

「わたは最悪。」の世界観が好きだったので、同じ監督の作品を鑑賞。

数年前に亡くなった女性イザベルについて、その夫と息子たちが、改めて彼女の死の真相や人生について、各々思い巡らしていく中で、少し離れていた家族の距離感が近づいていく話だ。全てがわかりやすく語られる作品ではないため、登場人物の一つ一つの行動の意味を考える必要があり、一瞬足りとも目が離せなかった。

冒頭は、イザベルの長男とその妻が、誕生したばかりの息子を見つめるシーンから始まる。そのため、これから2人の物語が始まるのかと思ってしまうのだが、違うのだ。だが、それが冒頭に来た理由は全て見終わった後になんとなくわかってくる。

亡くなったイザベルは戦争写真家で常に死と隣合わせの仕事をしていたということもあり、この作品は死に触れるカットが度々出てくる。そうして、イザベルの死を考えること、イザベルの残した戦場の写真を見て死に触れること、親が亡くなってもそれでも子供は日々成長していること…それらが「生きる」ということで、生きているからできることなのだということを監督は伝えたかったのではないかと感じた。

だから、うまく説明できないけれど、生と死を描く本作において、生命の誕生の喜びに触れる瞬間を冒頭に持ってきたことには、監督の深い意図があったに違いない。

ラストは本当に不思議だ。イザベルの次男のコンラッドが見た幻想が映されるのだが、それはこんな場面だ。イザベルが、すごく年老いた老人と手をつないで息子たちの方へ向かってくる。そして、その老人は冒頭に出てきた赤ん坊だと、コンラッドにはわかった、という場面なのだ。

一体どういう意味が込められているのか…ここでもやはり常に生と死は隣合わせにあるということを伝えたかったのだろうか??もっと深い意味も込められていそうで、考えても明確な答えは出すことができなかった…

このラストは、ぜひ実際に観てみてほしい。久々にすごい作品を観たなという感覚になった映画だった。