kimmaのシネマブログ

映画とたまに本・ドラマの感想・自分なりの解釈について。あくまで1個人の意見です…

『(500)日のサマー』

〇作品概要

・2009年製作のアメリカ映画

・監督:マーク・ウェブ

・あらすじ(簡単に)

 500日間の、トム(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)とサマー(ズーイ・デシャネル)の、恋とは少し異なる男女の不思議な関係を、トムの視点で描いた作品。トムは、サマーに一目ぼれしてしまうが、彼女は「恋人はいらない」と宣言し、2人は友達として距離を縮めていく。2人でIKEAに行き、モデルルームで夫婦ごっこをしたり、キスもセックスもする。これはもう恋人同士だと思うトムは、サマーに改めて思いを告げるが…

 

〇感想・見どころ ※若干のネタばれ含みます

①はじめの掴みが秀逸

本作は、「488日目」として、トムとサマーの重ね合わせた手のショットから始まる。そのサマーの手には結婚指輪が光っている事から素敵な恋物語を期待させるも、次のシーンにて、ナレーターよりこれは「恋物語ではない」と驚くべき一言を聞かされる。その後に流れるオープニングでは、画面を左右に分割し、2人の幼少期の映像が流れる。それはまるで、2人の結婚式で流れる映像を見ているようなのだが、「恋物語ではない」と言われたことを思い出し違和感を覚える。そして、益々これからどのような物語が始まるのかが気になってくる。これほど、心掴まされる冒頭シーンはないのではないだろうか。

②時間軸がバラバラだが、観やすい作品のリズム感

興味を惹かれる要素の1つとして、物語の構造があげられる。物語はトムとサマーの500日間について描かれるが、「31日目」の始めてのキスについて描かれた後、次のシーンでは「282日目」の2人の関係がギクシャクしている様子が描かれるなど、時間軸が行ったり来たりする。それにより、私たちはいつ2人の関係がうまくいかなくなるかわかっているからこそ、それは何が原因で、いつ頃からうまくいかなくなったのかが気になって仕方がなくなる。また、作品の中で取り上げられのは500日のうち27日程度なのだが、描かれなった日について自然と想像したくなってしまう。さらには、本作の素晴らしいところは時間軸がバラバラにも関わらず、観づらくない点だ。これほど時間軸が交差しても、ストーリー全体のリズム感がよいため、どの日にちも流れるように頭に入ってきて、ストーリーに置いて行かれることがない。

③印象に残っているシーン

トムが「34日目」にサマーとIKEAで素敵なデートをして、初めてサマーとセックスをした日の翌日の出勤シーンだ。このシーンはトムの妄想として、ミュージカルのように歌って踊りながら会社に出勤するというシーンだ。トムの満面の笑顔から、このうえなく上機嫌な気持ちと胸の高鳴りが溢れている様子が伝わってきて、本作の中で最もハッピーな気持ちになるシーンである。このシーンの彼を見ていると、誰もが素敵な片思いをしたくなること間違いない。

④これまでにない映像体験

本作では画面が左右に分かれ、それぞれ別々の映像が流れるシーンが何度か出てくる。中でも、終盤でトムがサマーの家で開かれるパーティに行った時に、左にトムの理想として、彼がサマーと結ばれる映像が流れ、右に現実として、結果的に2人が結ばれない映像が流れるシーンは印象的だ。観客は、2つの映像を同時に見るため大変ではあるのだが、理想の映像を見せられることで、より一層現実のうまくいかない切なさや、もどかしさが伝わってくる効果があった。

⑤これは運命によって”別れる”物語だ

 これまでにも”運命の恋”をテーマにしてきた作品は数多くあるだろう。その大半は、主人公の男女が運命によって”結ばれる”物語ではないだろうか。しかし、本作は違う。本作は2人の男女が運命によって”別れる”物語なのだ。この点がとても新鮮なため、本作に惹かれる大きな要因なのではないだろうか。一緒にいてあれほど幸せそうな2人でも、たまたま結婚する運命ではなかったから別れたのだ。しかし、自分が運命の出会いだと思っていたものが、実際は運命ではなかったということを受け入れることは、とても切ないことだ。そう思う私たちに、この物語は最後にちゃんと希望を与えてくれる。なぜなら、トムがラストシーンにて新たな女性と出会ったことで、サマーと過ごした500日のカウントはリセットされ、また新たに1日目からスタートをきるからだ。運命の新たな一面をみせてくれた本作は、きっと運命によって傷ついたり、辛い思いをした人々に、もう一度運命を信じる希望を与えてくれるに違いない。